1940 Coffee Liqueur 誕生秘話
「御当地の特産品」また「ぱっと思い浮かぶ、名産品」を想うときに、地元で育まれた「素材」「原材料」のように、「地元・敦賀」の持ち味をアピールできるものはないか?…この疑問から、「1940 Coffee Liqueur」は生まれました。
そこで思い至ったのが、敦賀が誇る珈琲店、「新田珈琲」さんです。
相談を最初に持ちかけたのは、2014年。もう、8年ほど前になります。
「新田珈琲」は1940年創業。おりしも「命のビザ」で有名な日本領事館の副領事であった杉原千畝氏が、ビザを発給した年でもあります。
当時は、福井県ではコーヒーにまだ馴染みがない時代に珈琲やチョコレートなど輸入食品を、敦賀に訪れた要人や地元のお客様に販売していたそうです。
現在に至っては、嗜好品としての老舗ブランド力、全国に45名(2022年現在)しかいない「J.C.Q.A認定コーヒー鑑定士」、味覚を判別するテイスターとして日本チャンピオン・世界第14位のスタッフが在店しています。
欧亜国際連絡列車とシベリア鉄道経由のルートでは、東京─パリ間をわずか17日間で結ぶ中継地としても、敦賀が、利用されてきました。
そのような環境にて、敦賀では沢山の人が交流し、古くからカフェ(今でいうバー)があり、お酒を飲む人やコーヒーを飲む人達で、にぎわっていました。
「創業時に沢山の外国の人が、店の近くを歩いていた」という話が、新田家では、創業者の妻の口から語られており(のちになって、命のビザで救われたユダヤ人たちの事が分かりました)。新田珈琲は、コーヒーだけではなく、敦賀の歴史とも交わり、歩んできたお店とも言えます。
これらの「歴史・食文化・人」を「地域の宝・特産」として育み、そして敦賀を代表する新たな逸品に仕上げる。
完成した逸品こそが、地域創造の「特産品」であると確信いたしました。
今回のコーヒーリキュールを作るにあたり、1940年はとても大切にしたい年です。敦賀は、古くから天然の良港であり、海の町、港の町、交通の要所としての歴史が残っています。
「珈琲」という、至高の嗜好品素材を使ったリキュールを開発することで、敦賀をPRをする事、意外なコラボから、新しい酒文化・食文化を創造していく可能性をひめています。
そのことから、コーヒーリキュールのネーミングを「1940 Coffee Liqueur」とさせて頂きました。是非、1940年という敦賀の記憶と、歴史を感じつつ、港での賑やかな様子に、想いを馳せながら、共に舶来の品であるコーヒーとウォッカをアサンブラージュ(調合)した、コーヒーリキュールをお楽しみ下さい。
左から「新田珈琲」新田千香子さん・和雄さん、打它 将、「株式会社エコファームみかた」新屋明さん